2012年09月08日

94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その4

 「94年5月号アニメージュのVガンダム特集」もこれで最後です。その4は再び斉藤良一さんに戻り特集の総括となっております。

○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その1
○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その2(庵野秀明監督)
○94年5月号アニメージュのVガンダム特集・その3(幾原邦彦監督)

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 『Vガンダム』は現在のTVアニメにおいて、もっとも過激かつ、ラディカル(注)な娯楽作品であった。とりわけ終盤の、ルペ・シノ、ファラ、カテジナと続いた女性たちのキャラクタードラマは、狂気にも似た、異様なテンションの高さで、圧倒的な迫力であった。ドラマ全体をふりかえってみても、いちばん特徴的なのは女性たちの過剰なまでの“母性”の存在だった−−というわけで、またかと言われる向きもあろうが、最後もまた女性たちの話で締めたい。それが『Vガンダム』でいちばんおもしろかった部分であるのも、確かなのだから−−。

ラディカル:急進的な。

 男性支配の終焉と、それに代わる女性原理による社会の再生は、最近の富野作品(注)でよく使われるモチーフだが、今回は一歩すすんで、その女性原理のあり方をめぐって、話が展開しているように見えた。(男性キャラの影が、また一段と薄いのはそのためなのだろうか……)

最近の富野作品:時系列から見るとF91と小説「ガイア・ギア」「閃光のハサウェイ」の事なのか?「女性原理による社会の再生」という点でやや弱い気がするのだが…。

 『Vガンダム』では、母系制社会の復活によって、文明の再編を目指すマリア主義が登場し、これが作品全体に氾濫する“母性”のバックボーンとなっている。しかし、このマリア主義にはどこか空虚な感じがつきまとう。それはマリアが本当の子供を持たない抽象的な“母親”だったためではないだろうか?彼女の“母性”は実の子シャクティを棄て、(事情はあったにせよ)現実の母親から“聖母”になったときにゆがんでしまったのではないか。現実の子育ての、痛みも苦労も喜びも、伴わない母性愛など、自己満足かマスターベーションでしかない。それはウッソの“母親”になろうとして、はたせなかったルペ・シノやファラも同じなのではないだろうか?

 この実体を持たない“母性”の間にあって、唯一、現実にカルルマンという子どもを育てているのがシャクティなのだ。彼女はその“子育て”という具体的な行動で、観念でしかないマリア主義を否定する。本当に人間を変えることができるのは空虚な言葉ではなく、現実に足をつけた生き方そのものであることを、身を持って証明するのだ。


 虚の“母性”である女王マリア。それに対するのが、現実にカルルマンを育てているシャクティだとすれば、“母性”そのものを否定するのがカテジナである。

 先の庵野さんの取材にもある通り、他の女性たちが、ウッソの母親になろうとするなかで、カテジナだけがウッソを避けようとする。それはもし彼女がウッソの愛情を受け入れてしまえば、ウッソがずっと年下である以上、カテジナは必然的にウッソの“母親”になってしまうからだ。彼女が“母親”になることを嫌うのには、さまざまな理由があるだろうが、やはり家族というものに対する嫌悪感、特に、男と遊んでいた、自分の母親への憎しみが根底にあるのはまちがいない。

 つまりシャクティとカテジナはともに母親に棄てられた(カテジナの場合は精神的に)という点で、実は共通する過去を持っているのだが、そのたどった道筋はまったく違うものになっていく。

 最終回のエピローグ。カテジナとシャクティの出会う場に、カルルマンが居あわせるのは、実に象徴的だ。なぜならカルルマンは、カテジナが棄てた子どもであるからだ。思いかえしてほしい。ウーイッグの爆撃で、母親を失ったカルルマンをひろい、カサレリアへ連れてきたのはカテジナだったのだ。しかし彼女はその世話をわずらわしがり、結局カルルマンをシャクティに押しつけて去ってしまった。カテジナはあのとき既に、“母性”を否定し、意識することなく自らも“子捨て”を繰り返してしまった。それが彼女の悲劇の始まりだったのか知れない。

 最後に少し余談めくが、考えついたことをひと言つけ加えたい。富野監督にとって“人間を描く”ということは、イコール“セックスを描く”ということなのではないだろうか。むろん極論ではあるが、それくらい富野作品において、セックスは重要な位置を占めている。もちろん、この場合の“セックス”とは行為のみを指すのではない。男が男であり、女が女である、そして人間は男と女で成り立っていて、誰も自分の性と、その意味するものを、無視して生きることは出来ない−−そういうことである。あるいはそれこそが“人間の業”と呼ぶべきものであるかもしれない。

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 斉藤良一さんによるこの文は以前紹介した庵野秀明監督による「母性を乗り越える少年の物語」の補足説明の意味合いがあり、また僕が書いた解説でも参考にさせて頂いたので、この「その4」ではこれ以上語る事が無くなってしまっているのですが、最後の「富野監督にとって『人間を描く』という事は『(性別という意味も込めての)セックスを描く』である。」という点は富野アニメだけに限った話ではなくあらゆる映像・舞台表現を語る上でも大事なポイントだと思います。

 アニメであっても実写であっても人間が演技する物を人間が見るわけで、描かれる世界がSFであったとしてもそこに自分と同じ物を感じる事が出来なければ見ている側は感情移入は出来ないし、描く側はドラマを生み出せないと思うのです。

 富野さんを語る上で「このキャラのおまんこ舐めれるのか?」というのがネタとしてよく登場します(「逆襲のシャア」のキャラクターデザイン、北爪宏幸さんに対して彼が描いたクエス・パラヤに対しての発言のようですが)。これは富野さんのエキセントリックな部分を象徴した発言として見られがちなのですが、「御飯を食べ、トイレで用を済ませ、お風呂に入る。そして好きな男性の前では濡らす事もある『生きた女性(人間)』としてきちんと表現出来ているのか?」という事が本来の意味なのでしょう。この話はどうしても「おまんこ」が前に飛び出してくるのでそこばかり強調されてしまいますが、富野さんの演出論を語る上でも、そして斉藤良一さんの説を裏付ける意味でも大切な物だと思います。

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 ところでこのインタビュー&総括企画において庵野秀明監督と幾原邦彦監督が登場したというのはとても興味深いことなんです。庵野監督はこのインタビューから1年5ヶ月後の1995年に「新世紀エヴァンゲリオン」を、幾原監督はほぼ3年後の1997年に「少女革命ウテナ」を世に放ちます。

 ウッソ(嘘)へのオマージュということで逆に主人公にシンジ(真実)という名前を付けた庵野監督。彼がVガンダムをとことん研究した結果、「エヴァンゲリオン」が出来たことは有名ですね。Vガンダムの「訳の分からない事の面白さ」等の良いところは引き継ぎ、序盤でのつかみとして弱かった部分を綾波レイやアスカ等の可愛らしいキャラクターと、舞台を学園物にするということで補完した結果、ヒット作になれたと思うのです。また富野さんと同様にシリーズ終了後に庵野監督が鬱病になった事は、それだけ彼がこの作品に魂を入れた結果の反動とも言えますし、それだけの事をしたからこそ単なる「Vガンダム」のコピーに終わらず、オリジナルな作品に成り得たのではないでしょうか(病気のことなのでこうなることはあまり「良い」、とは言えないのですが…)。

 幾原監督が「Vガンダム」を熱心に見ていたとは僕にとって実に意外でした(優れたクリエーターは頭にインプットするために常に色んな物を見ているものではありましょうが)。「ウテナ」にある小演劇的世界、そして「訳の分からない事の面白さ」はどちらかというと富野監督よりも「うる星やつら2」「御先祖様万々歳」「天使のたまご」等々の押井守監督からの影響が大きいと思っていたからです。事実ネット等で調べてみると押井監督から影響を受けた発言があったようですし。ただ、幾原監督が影響を「受けたであろう」押井監督の作品達は特定の客層に向けて製作された劇場用作品、もしくはOVA作品で、一般のお客さんも見る機会があるTVシリーズではありません。当時「訳の分からない」作品をTVシリーズでやることに対してどのクリエーターも、プロデューサーも躊躇(ちゅうちょ)してたと推測できます。しかしそのような作品であってもTVシリーズでの開拓者として「Vガンダム」が、さらに興行的に「エヴァンゲリオン」がやれる事を証明した土壌があったからこそ幾原監督が「ウテナ」をやれた面は否定できないと思うのです。その意味では「ウテナ」は「エヴァ」のように直接的では無い物の、間接的には「Vガンダム」から影響を受けたと言えるでしょう。

 しかしここまで来ると「ウテナ」における「Vガンダム」の直接的な影響も探してみたくなるのですが、「エヴァ」が「Vガンダム」と「ウルトラマン」直系の比較的わかりやすい「息子」であるのに対し、「ウテナ」は押井守、富野由悠季、出崎統、J・A・シーザー等々と親が沢山いる複雑な家庭(苦笑)から生まれた「娘」という感じでルーツを探すのが非常に難しい!こればかりは幾原監督に直接聞くしかないのは残念な点ではあります。あ、でも姫宮アンシーのキャラクターとポジションはシャクティと似ているような…(妄想妄想)。

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Posted by 天野"kevin"達也 at 00:05│Comments(0)Vガンダム
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