2012年04月19日

「ヒューゴの不思議な発明」鑑賞

 さて今年のアカデミー賞を「アーティスト」と争う事になった「ヒューゴの不思議な発明」を見てきました。本当はもっと早くに鑑賞済みだったのですが、作品として似ている「アーティスト」とセットで紹介した方がいいのかな、と思って今まで寝かせていました。

 少年ヒューゴは時計職人との父(ジュード・ロウ)との二人暮らし。ヒューゴも手先が器用だったことから父が貰ってきた精密な機械人形を共に修理していた。しかし唐突に父が火事で亡くなる事になる。ヒューゴは駅の時計台のメンテナンスをしているおじに引き取られる事になるが、飲んだくれのおじは仕事をヒューゴに押しつけて行方不明になってしまう。

 半ばホームレスのような生活を送ることになったヒューゴは父との思い出が詰まった機会人形の修復により打ち込むようになる。その部品集めのために同じく駅の中でおもちゃ店から万引きを繰り返していたヒューゴだが、店主の老人に見つかってしまう。そんな中で父が作った機械人形に関するメモ帳を老人に取り上げられるが、それを読んだ老人はひどく動揺し、持ち帰って処分するとヒューゴに告げる。機械人形を完成させるためにもメモ帳が必要なヒューゴは老人宅まで追いかけて行くのだが…というお話です。



 見た感想としては「スコセッシ版ニューシネマパラダイス」だな、というものでした。映画の創世記にあって編集やSFXの元祖とも言えるジョルジュ・メリエスの功績を賛美しながら、子供向けのファンタジー映画という面も併せ持った優れた作品に仕上がっていると思います(家族で見れるスコセッシ作品はかなり珍しいのでは)。

【ここからネタバレ部分があります】

「ヒューゴの不思議な発明」鑑賞

 あらすじで書いた「老人」こそが映画のパイオニアの一人、ジョルジュ・メリエス。映画でも描かれたとおり、マジシャンだった経験を生かして(繰り返しになりますが)編集やSFXという物を映画に持ち込んだ功績者なのです。さすがに映画のようなレベルの高い機械人形までは作っていないようなのですが、彼がマジシャンだった事の「象徴」として機械人形が登場した意味もあると思われます。

 ただ「マジック=機械人形」→「映画」という構図が理解できるかどうかで作品の評価が分かれてしまうようなのです。昔からの映画の歴史に精通していてこの構図が解っている人(特に映画評論家)からの評価は総じて高いように感じるのですが、映画好きでもここ二、三十年の事しか知らない人には機械人形から「映画」につながっていく事に乗ることが出来ず、否定的な意見が多いようなのです。しかしそれも仕方のない話で邦題に「不思議な発明」と付けられている以上、機械人形に過度な期待を持ってしまいますよねぇ(苦笑)。機械人形は後半に向けての「鍵」でしかないのに、それに深い意味を持っていると勘違いしたまま見続けるとそりゃあガッカリもすると思うのです。

 邦題の問題を横に置いたとしても、ちょっと映画愛を表現するのにまわりくどい道を選んだな、という印象はあります。シンプルな道を選んだ「アーティスト」と比較されてしまう点もあります(ただ、悪い事ばかりでなく相乗効果でどちらも評価を上げた点も忘れてはいけない)。ですが宣伝とかアカデミー賞の賞レースがらみ等を取っ払って純粋に見るとファミリー向け映画として本当に良く出来ている作品なんですよ。この点は強調させて下さい。

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Posted by 天野"kevin"達也 at 00:05│Comments(0)映画
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